HIROTA YANO
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箸の持ち方が汚いとモテないらしい

「あんた箸の持ち方おかしいよ、モテないよ」

と、モテる女に宣告された。どうやらお箸を使いこなせない人間はモテないらしい。なるほど、私がモテないのはそのせいだったのか。

「男も女もね、お箸使いが汚いとモテないんだよ」

すいぶんお箸への信仰が厚い女だと思ったが、事実この女はモテる。手元を見れば確かにお箸使いが美しい。ビール片手にエイヒレをつまんでいながらも、どこか気品がある。私はといえば、上のお箸に指を四本もあてがい、下のお箸は小指一本で支えている。

我ながら下のお箸への冷遇がひどい。これではいつ下のお箸に愛想を尽かされてもおかしくない。「小指一本で支えられる生活には耐えられない、実家に帰ります」なんて書置かれるのだろうか。お箸に実家があるのかは知らないが、残された上のお箸一本で米をすくう自分を想像してみる。なるほど、確かにモテそうにない。まぁたぶんそういう話でないことは自覚している。

モテるため、お箸の持ち方を矯正することにした。薬指の担当を下のお箸に変更、上三本、下二本の布陣を編む。これこそ人類の編み出した至高の比率、美しいお箸の持ち方である。

最初の一ヶ月は米をポロポロこぼした。こぼした米を自分で拾い、またつまみ、またこぼすの日々。力加減がわからず、お箸をへし折ったりもした。ほぼゴリラである。だがゴリラも訓練すれば様になってくるもので、己の上達ぶりにウホウホし始めた。

「なんて繊細なお箸使いウホ」
「華麗につまめているウホ」
「我は美しきお箸使いなり、ウホホーッ」

などと心の中でウホしては優越感に浸りドラミングにふける。なにひとつ優越していない、人間に一歩近づいただけのゴリラなのだが。

こうなるとゴリラは、お箸を使いたくてしょうがなくなる。小骨をお箸で取りたいがために焼き魚を食べる。ゴリラとしてのアイデンティティは失われた。最後にバナナを食べたのは、いつだったろうか。

さらに症状は進み、ゴリラは他人のお箸使いまで気にし始めた。

「なんてしなやかなお箸使いウホ」
「おいおい握りしめるウホか?」
「ウホ、短く構えるウホか」

ゴリラの頭はお箸でいっぱいだ、もうドラミングすることも忘れている。

そしてたちが悪いことに、偉そうに指摘し始める。気になるメスゴリラと食事にいっても「その持ち方では人差し指が遊んでいるウホ」などとウホりだす。そしてモテない。当たり前だ、そこは食事と会話を楽しむ場であり、お箸の持ち方を披露する場ではない、というかそんな場はどこにもない。

モテるために始めたはずのお箸使い。いつからか、お箸使いそのものが目的になっていた。

さながらダース・ベイダーだ。ダース・ベイダーは恋人を救うために力を求め、力のために恋人を死に追いやった。ゴリラも変わり果てていたようだ、お箸を振り回すダース・チョップスティックスに。

ゴリラの目的は、お箸使いを極めることではなかったはずだ。ましてや美しいお箸使いを世に広めることなんかでもない。

モテたい。ただ、それだけだったはず。

お箸のために生きるのは、もうやめよう。ゴリラはお箸をそっと置き、ドラミングを奏でた。その演奏は、これまでで一番の音色を響かせた。

――以上です。今ではすっかりお箸を使いこなしていますが、全くモテません。話が違いませんか。