HIROTA YANO
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家族ぐるみの付き合いがご近所から友達に移行した気がする

三十代にもなると周囲はパパママだらけである。そのため独身の私も子供と戯れる機会が年々増えており、持て余した高身長を活かしためっちゃ高い高いもずいぶん板についてきた。子供たちは最高到達点二メートル二十センチという未知の高度に歓喜し、着々となついている。

この「友達の子供と頻繁に戯れる」という状況は、私の子供時代にはなかったものだ。家族ぐるみの付き合い方がずいぶん変わった気がする。

平成初期、私が今と同じく玉のように可愛らしかったころ、家族ぐるみといえばご近所付き合いだった。近所に住む子育て世帯とばかり、親戚よろしく家族で集まる。当時の私にとってはそれが世界の全てであり、近所に住んでいるというだけの数人の中から、親友や初恋の人を選んでいた。

あの頃の人間関係は、物理的な距離に依存していた。

最近はそういったご近所付き合いが減少し、独身時代からの仲良しグループがそのまま家族ぐるみになっている。十代の頃と変わらぬ顔ぶれが、それぞれの夫、妻、子供を連れてくる。

この変化はたぶんスマホの普及に起因している。LINEなどのチャットがとくに大きく、次いでSNSだろうか。

平成初期においては連絡手段が固定電話しかなかった。固定電話は「一対一」かつ「リアルタイム」のコミュニケーションであるため、ちょっと人集めて宅飲みしようかなんてのも、それなりに本腰いれて人集めに走らないと実現できない。

自然と顔を合わせるご近所との付き合いが増えるのも合点がいく。それが一番楽だったのだ。

対してスマホ全盛の現在、仲良しグループのLINEは「多対多」かつ「リアルタイムではない」コミュニケーションである。「今度飲もう」の一言を送るだけで、そのうちみんなが読んでくれる。お隣のインターホンを押すより楽。

ご近所付き合いが減少したことを冷たいとか、コミュニケーション能力の低下とかいう論調も聞こえるが、私の身の回りを見る限りみんな温かいお調子者である。「ご近所付き合いの減少=人間関係の減少」とするのは安直だろう。

変わったのは人間性ではなく技術だ。スマホばかり眺めているからって、社会性を欠いているわけではない。チャットもSNSも、物理的な距離を無視して人と繋がる社会的行為である。ソシャゲはこの限りではないが。

かつてご近所付き合いが盛んだったのは、今より人が暖かかったわけでもなんでもなくて、それが楽だったというだけなんじゃないか。

ご近所付き合いが減少したのは、数駅離れていても友達と交流を続ける方が楽になったというだけなんじゃないか。

きっと人は温かくも冷たくもなっていない。いつの時代も一番ぬるい楽に向かっている、それだけなんじゃないかなと思うのです。