HIROTA YANO
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創発、そして焼酎おでん割り

良いものの総体が良いものであるとは限らない。

善人だけで構成された集団が善良な行為をするとは限らないし、スタープレイヤーだけで構成された野球チームが優勝するとは限らない。おおむね健康な細胞だけで構成されている私が、およそ健康からかけ離れた文章を生むことも然り。世界はしばしば直感と対立する。

10年くらい前だろうか、焼酎をおでんの汁で割ってみたことがある。

人がみな宇宙の未知に想いを馳せるように、「おでんの汁は割りものとしてアリなのか?」を独りよがりに追求したい夜だった。

姿を成した焼酎のおでん割りは、トイレで見る色をしていた。驚くほど安い甲類に、おでんの残り汁。暴力と優しさの混沌、頭を撫でながら頬をひっぱたくような液体。

スラムの排水口みたいな味がした。

割ったというより混ざってる、割り切れない、円周率みたいな味。ナシよりのナシだった。

神秘――おでんを食べながら飲む焼酎は美味いのに、おでんに入れた焼酎は不味い。「美味い + 美味い = 不味い」という神秘の方程式を口に含んだ私は、ただゲロを吐くしかなかった。ゲロも不味かった。

個の性質の合計にとどまらない性質が全体に現れることを「創発」という。

人間は細胞が集まってできているが、個々の細胞の性質を単純に足しても人間にはならない。私の細胞を一つ取り除いても私が細胞一つぶん私じゃなくなることはないし、人間の集合たる社会から私を取り除いても社会が少しだけ社会じゃなくなるなんてこともない。

自律的な個が集まって十分繋がると、複雑な全体になる。

焼酎やおでんが自律的な個と言えるかは疑問だが、あの夜の私は、いかに優れた個が集積しようとも発現する全が優れているとは限らない、それを証明したかったのかもしれない。個を重要視する風潮に、一石を投じたかったのかもしれない。焼酎をおでんで割ることで。

思うに人間の本体は社会だ。

人間の適応力は社会に蓄積している。DNAを使わない進化、ミームって言うのだろうか。人間なしに社会は存在できないけど、私やあなたが必須なわけじゃない。

人間は個の性能差に種としての価値はほとんどなくて、重要なのは優れた個ではなく大量の個だと考えている。好き勝手動く個がたくさんあればそれでいい、個の優秀さなんて脆いもんだ。

だからさ、肩の力抜きなよ。好きなことして生きられなくても、いいじゃない。あの夜の私は、そんなことを言いたかったのかもしれない。誰にともなく。

そして今の私が言いたいのはこれ。

「焼酎おでん割りって、ちゃんとやれば美味しいみたいよ?」

当時はまともなネット環境を持っていなかったので思い付きでやったが、どうやら一部の居酒屋では「出汁割り」なんつっておでんや鍋の汁で割るメニューが好評をはくしているそうだ。焼酎もあったが日本酒の方がメジャーらしい。

あの夜の私は驚くほど安い甲類に、冷めたおでんの残り汁を雑に混ぜた。そりゃスラムの排水溝にもなるわ。

なにが「いかに優れた個が集積しようとも」だ、勉強しろ。