HIROTA YANO
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常識とは身近にいる偏りまくった数十人の最頻値なわけで

誰もが自分の掟を持っている。そして自分の掟を常識と呼び、他人の掟を思い込みとか、偏見とか、洗脳なんて呼んでいる。

おっさんが歩きながらカップヌードルを食べていた。

ハフハフしながら早足で歩くおっさんに、私の目はギョッとしていた。人は自分の常識にないものを見たとき、ギョッとする。私の場合はラーメンの歩き食いがギョッの対象だったわけである。

最近はカップヌードルを歩き食うのが流行っているのだろうかと調べてみると、カップヌードルの公式ツイートが出てきた。

逆だった。最近流行ったのではなく、発売当初こそ「歩きながら食べる麺」として広まったそうだ。

48年前ということは当時の若者もすでに還暦越えなわけで、なるほど確かにあのおっさんはそのくらいの年頃だった。彼らにとってカップヌードルは、歩きながら食べるのが常識というわけか。

ふとした拍子に自分が持っていない常識を見つけると、つくづく当てにならんな常識のやつは、つまるところ身近にいる偏りまくった数十人の最頻値にすぎないわけか、なんてひとりフラフラ考えさせられる。

私の常識では歩き食いは手掴みで食べるもの(おにぎりや肉まん)に限定されていて、おそらく同世代においては多数派なんじゃないかと思う。しかしこれも、私が60歳になる2050年頃には様変わりしているのかもしれない。私の常識は昔の流行りになっていて、新たな常識が幅を利かせている。

コンビニで買ったおにぎりを、歩きながら頬張る未来の私。ギョッとした目をする未来の若者。

「ねぇ見てウソでしょ……? あのおっさん歩きながら、おにぎり食べてるんだけど!」

しかしその若者は若者で、歩きながらしゃぶしゃぶを食べている。煮えたぎったお湯を片手に生肉をしゃぶしゃぶしている。小腹が空いたら歩きしゃぶしゃぶ、それが2050年スタイル。お楽しみに。