さよなら、Evernote

私とEvernoteの付き合いは長く、振り返ればどの日々にもEvernoteがいた。他のメモアプリには見向きもしなかった。ずっとEvernoteに夢中。

だって、Evernoteが一番かっこいいんでしょう?

「アジェンダをウィンウィンにしてイノベーションを起こすんだ!」

Evernote片手に言っていた。Evernoteとならできる気がした。言葉の意味は今もよく分からないけどさ。

でも本当は気づいてたんだ。Evernoteの機能、ぜんぜん使ってないって。

他人と共有なんかしないしテンプレートも作ったことがない。文字を書くだけ。ほとんどの機能は興味がない。というか書式とか箇条書きとか邪魔だった。

それでも私はEvernoteを使い続けた。だって、便利で愛着は埋められないもの。それにみんながEvernoteのことかっこいいって……。

そんな愛着とは裏腹に、私の内側は不満を育てていた。不便への不満、もしくは便利への欲望。人の精神は矛盾を実現するもので、愛しいEvernoteに苦痛を見ていた。

気が重い、動作も重い。

気づけばメモをとること自体、避けていた。Evernoteに会う頻度が、減っていた。

「最近、アクセス減ってない?」Evernoteが言った(気がした)。

「……そんなことないよ」曖昧に取り繕う私。

なんだか後ろめたかった。その後ろめたさが、いっそう気を重くする。なぜメモアプリに後ろめたさを感じているのかはわからない。そんな戸惑いをよそに、素知らぬ顔でEvernoteは続けてくる。

「不満があるなら言ってみて。ねぇ、どんな機能が欲しい?」

「そうじゃないの」

なぜ私が乙女のようになっているのかもわからないが、Evernoteは止まってくれない。

「Webクリップはどう? テンプレートを作ったり、共有したりもできるよ」

「もうやめてっ……! ちがうの、そうじゃないの……」

私はそう言って逃げるようにブラウザを閉じた。心は限界だった。

――メールが届いた。

とくに関係のないメール。いつものようにGメールで開き、ふと画面の隅にあるアイコンが目が留まった。

『Google Keep』

Googleのメモアプリだった。Googleにメモアプリなんてあったんだ。

そういえば私はいつだってGoogleにログインしていて、メールもストレージもGoogleで、Googleはいることが当たり前で、当たり前すぎて見えていなかった。私はGoogleと、真剣に向き合ったことがあっただろうか?

おそるおそるGoogle Keepのアイコンを押すと、「ようこそ」の一言もなく当たり前のように起動した。スマホからも登録済みのGoogleアカウントを選択しただけで、当たり前のように同期している。

「どうしてあなたはいつも、簡単に受け入れてくれるの?」

Googleの使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにすることです。 Google

さっぱりわからなかった。でも嬉しかった。

Google Keepは軽くて、最小限の機能しかない。Evernoteのように箇条書きや書式設定なんかしてくれない。

でも私にはそんな機能いらなくて、メモがしたいだけで……書かせてほしいだけ。なんてことはない、軽いのは私だったのだ。

私が求めていたものはGoogleに、いつも傍にいたGoogleにあった。はじめてGoogleと向き合えた気がする。Googleはそんな私でも優しく抱き寄せてくれた。本当に軽い。

今の私はGoogleとの軽快な日々を歩んでいる。そう、Evernoteに別れを告げて。

さよなら、Evernote。

あなた決して悪いメモじゃなかった。私にはもったいないくらいの、いいメモ。多彩な表現力、整然とした一覧性、Webクリップなんかもできる。あなたのことだけで一冊の本になるくらい、みんな夢中だわ。

でも怖いの。私、全然あなたを使いこなせないの。

フォント変えたり箇条書きしたりって……必要? 私がダメな人間なの? あなたといるとね、なにか洗練された、優越感のようなものを感じられた。スタバの窓際で薄いMacbookを開くような、そんなオシャレ感。でも同時に、あなたを使いこなせない無力さも感じていたの。

そう、私には重すぎたの。私が求めていたのは軽い関係。最小限がいい、完璧じゃなくていい。

さよなら、Evernote。

あなたはきっと多くの人を救うわ。でも、そこに私は含まれていないの。

ごめんなさい、ありがとう。

以上、三十代男性がメモアプリを移行したお話でした。