「一個残し」という未曽有の問題とその解決案
「一個残し」あるいは「遠慮のかたまり」。
居酒屋料理などで最後の一個がポツンと残り、だれも手をつけなくなる現象。それは肥えた社会にぽっかりと空いた闇、産業革命によって発現した、おそらくは生物史上初となる未曽有の問題である。
最後の一個に選ばれた哀れな唐揚げ、卵焼き、枝豆。なんども目にしてきた。そのたびに、彼らを救えない己の無力を嘆いた。
悲痛な思いを胸に日々飲んだくれる私はアルコール漬けの頭で考えた。行動経済学を用いれば解決できるのではないかと。
市場規範と社会規範
行動経済学に「市場規範」「社会規範」という概念がある。これらは価値判断に関する基準で、人はなにかを判断するとき、無意識にこの二つを切り替えているそうだ。これを検証する実験に「1セントのお菓子と0セントのお菓子、お客はどちらの方がたくさん買うか?」というものがある。表は一時間販売した結果である。
値段 | 一人当たりの平均購入数 |
---|---|
1セント(有料・激安) | 3.5個 |
0セント(無料) | 1.1個 |
高い方がたくさん買うという、市場原理に反する結果であった。これはお客の判断基準が有料と無料で異なるからだとされている。
- 有料(激安):安っ、いっぱい買お!
- 無料:自分がいっぱい持っていったら、他の人の分がなくなっちゃうな。
となるわけだ。なので1セントと2セントで行えば、より安い1セントの方がたくさん買っていく。神の見えざる手は有料においてのみ機能するのである。この有料の場合の判断基準を「市場規範」、無料の場合の判断基準を「社会規範」と呼ぶ。
- 市場規範:金銭的な価値判断。価格、賃金、利息など。
- 社会規範:社会的な価値判断。気づかい、人助け、プレゼントなど。
こういう話は「社会規範」のほうが美談っぽくなるので注目されがちだが、あえて「市場規範」が有利な例をあげた。社会規範が有利な例には「ちょっとした荷物運びを百円で依頼したら断わられたけど、お金なしで依頼したら快く引き受けてくれた」なんてものがある。なにごとも使い分けである。
しかし今回は「社会規範」の抱える闇に切り込み、「市場規範」による解決を試みる。お待ちかね、居酒屋の一個残し問題である。覚えておいでだったろうか。
市場規範にすれば一個残らない
社会規範はうまく使えば「協力」「慈善」「公平」というポジティブな結果を生む。しかし使い方を間違えると「遠慮」という睨み合いにもなりえる。
先ほどの「自分がいっぱい持っていったら、他の人の分がなくなっちゃうな」は、無料のお菓子であれば殊勝なことかもしれない。しかし居酒屋でおこれば不毛な遠慮、一個残しというむごい結果を生んでしまう。
「おいおい、居酒屋の料理は有料だろう」と思われるだろうか。たしかに有料だが、先述のお菓子とは決定的な違いがある。
それは「一つの皿をみんなでつつく」というスタイルだ。
この場合「だれの所有物か?」が曖昧であり、その皿は会計をともにする人達の共有財産になっていると考えられる。皿から一つとるという行為は購買ではなく分配、市場規範ではなく社会規範、というわけだ。よって一個残しは次の流れで発生していると推測する。
居酒屋料理 → 共有財産 → 分配 → 社会規範 → 遠慮 → 一個残し
ということは、「共有財産」というファクターを「個人財産」に変えることができれば、連鎖的に一個残しを解決できるのではないか。
X → 個人財産 → 購買 → 市場規範 → 遠慮しない → 一個残さない
Xになりえる居酒屋の新スタイルを探さねばならない。さまざまな料理を楽しみつつも個人の所有物として存在可能な、居酒屋の新スタイル。私はアルコール漬けの頭でひらめいた。
回転寿司だ。
回転寿司はすばらしい、さまざまなネタを楽しめる。それでいて一個残しを見たことがない。ここまでの話にあてはめて考えれば、それは自分でとった皿、自分で買った皿だからだと考えられる。回転寿司は購買であり、市場規範なのだ。
ならば居酒屋も回転すればいい。地球を想って楕円を描け。
唐揚げも、卵焼きも、枝豆も、自分の食べたいものを自分のために取れば市場規範となり、わける場合でも共有財産の分配ではなく所有物への「一個ちょうだい」になる。
回転居酒屋 → 個人財産 → 購買 → 市場規範 → 遠慮しない → 一個残さない
さて、この理論を披露したくてもだえた私は友人を飲み屋へ呼び出し「回転だよ、回転! 母なる地球のように、回転なんだよ!」と、繊細かつ情熱的、丁寧きわまりないプレゼンをまくしたてた。すると友人は一言。
「冷めるじゃん」
私は「確かに」とつぶやき、最後の唐揚げに手をのばした。
以上です。一人でも多くの方に「時間を返せ」と思っていただけたら幸いです。
参考
市場規範と社会規範については本書から学んだ。回転居酒屋の話はもちろん載っていないが、とても面白い本である。