人類最大にして最強の敵「めんどくさい」

便座カバーという発明を使わずに生きてきた。

生の便座に腰掛け冬になるたび「ヒャンッ」と情けない悲鳴を出してきたわけだが時代は令和である、いい加減この哀れな排泄事情ともおさらばしたい。そのような意気込みのもと、この度ついに便座カバーの購入に踏み切った。

意気揚々と袋を開け使用前に洗濯、我が家の匂いに染め上げ、燦燦(さんさん)と輝くお日様に一礼、しっかり乾いたことを確認したのち寸分の狂いなくパーツを組み上げる。あとは便座に取り付けるのみと相成った。

が、ここで「めんどくさい」に襲われる。

こいつはいつだって警告なしにズドンとくる、そして僕を明後日の方向へ吹き飛ばすんだ。打ちぬかれた僕は、組み上げた便座カバーをリビングに放置した。

ここまでが2週間前の話。

そして今もなお、便座カバーはリビングの片隅を温め続けている。便座カバーも、まさかリビングを温めさせられるとは思っていなかっただろう。

「え、リビング担当ですか? 尻を温めるって話じゃ……」

技術職で入社したはずが飛び込み営業ばかりやらされているような状況、便座カバーには希望に沿えない申し訳なさでいっぱいである。まぁ便座カバーが尻を温めたいのかは知らないが。

なぜ取り付けないのか我ながら理解に苦しい。三分あれば終わる、というかこんな駄文を書くヒマがあったら十個は取り付けられる。

これはいかん、知的生命体としてあるまじき愚行である。どげんかせんといかん。

「めんどくさい」による蹂躙から脱っすべく、「めんどくさい」を克服した超人ナポレオン先生の言葉を引いてみる。

お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。

ナポレオン・ボナパルト

「ある時間」に「便座カバーの取り付け」を代入すれば、「いつの日か出会う禍」は「ヒャンッ」ということになる。秋に便座カバーの準備を怠れば、冬の冷たい便座にヒャンッの悲鳴を出す、それが嫌なら「めんどくさい」に打ち勝てと、そう仰っるのですね先生。先生のストイックさにはつくづく頭が下がります。もっと寝てください。

ナポレオン先生を調べていたら、ナポレオン・ヒルというアメリカの著作家も出てきた。どんな人物かは知らないが、言葉が心に留まったので引用する。

怠惰な人間はいない。怠惰に見える人間は、自分に合った仕事を見つけられないでいる不幸な人たちなのだ。

ナポレオン・ヒル

僕はいつから錯覚していたのだろうか、自分が便座カバーの取り付けに向いているだなんて。

向いていない。めんどくさいということは、向いていないのだ。プログラミングや読書、日曜大工にビール飲んだりなら、全然めんどくさくないもの。向いてるから。とくにビール飲むのが向いてる。

身の丈を知ろう、僕は便座カバーの取り付けに向いていない。そんな自分を愛してみよう。自分を受け入れて、毎年ヒャンッなんつって悲鳴あげてさ。

まぁ嫌ですけどね、心から嫌ですよ受け入れません。こんなこと考えてるからやらないんでしょうね、取り付けます。明日ね。

※タイトルは漫画『グリーンヒル』から引用。


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