HIROTA YANO
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価値観のバージョンアップ

ずいぶん前からコンビニや自販機はSuicaで支払っている。財布をもたずSuicaの入ったスマホだけで買い物に行けるほど使いこなしているが、Suicaを使うたび「新しい技術を使っている」という感覚がいまだにある。

物心ついたときからSuicaのある世代なら、きっとこんな感覚はないのだろう。作家のダグラス・アダムスが、こんな言葉を残している。

人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる。

私がSuicaを使いはじめたのは二十歳くらい。なるほど、たしかにSuicaはエキサイティングだ。

「○○ネイティブ」という言葉があるが、私はSuicaネイティブではなく、切符ネイティブ・紙幣ネイティブということなのだろう。時代の変化に感慨をおぼえかけるも、すぐ後にはトークンネイティブなんてものが控えている。なんとも目まぐるしい、最近の時代ってやつは本当に早い。

とはいえ我々が当たり前と思っている紙幣も、さほどの歴史はないようだ。紙幣ネイティブからすると信じがたいが銀行券を法定通貨としたのはけっこう最近で、1833年イギリスのイングランド銀行によるものが始まりとされている。日本はその後に真似して取り入れており、最初の紙幣(日本銀行券)は1885年の発行とある。

つまり紙幣が当たり前とされているのは世界的に見てもここ200年程度のことで、日本に限れば150年も経っていないことになる。

その後も金本位制から変動相場制というものへの移行があり、日本が現在の形式である変動相場制になったのは1973年とある。なんと50年も経っていない。人間の適応力ってやつはつくづくすごいなと我ながら感心する。よくもまぁそんなできたての仕組みに人生を捧げられたものだ。

紙幣ネイティブな我々は、はたしてトークンエコノミー(※1)を受け入れられるのだろうか。

使いこなすことはできるかもしれない。が、きっと「当たり前」には程遠いのだろうなぁと、さきほどの理屈で言えば「自然に反するもの」になるんだろうなぁなどと考えている。面白いとすら思えなくなってしまうのだとしたら、なんだか恐ろしい。みんなもそう思っているから「トークンネイティブ」なんて言葉が必要になったのではないか。そんな言葉を必要とする時点で「我々はトークンを当たり前と思えない人間です」と宣言しているようなものだ。

トークンエコノミーが実現すれば、Suicaとは次元のちがう変化になると言われている。新たな決済手段などではなく、我々が崇拝してやまない価値観たる「資本主義」そのもののバージョンアップになると。

人類史を大まかな流れで捉えた場合、支配的な価値観はこれまでにも何度かメジャーバージョンを上げてきた。

狩猟採集時代の精霊信仰は、農業革命とともに多神教へと移行し、そこから突然変異的に出現した一神教は性質上、他の宗教を飲み込み支配的なものになった。そして産業革命によって資本主義が産声をあげ、あらゆる宗教を含有したまま価値観の王になったとのだとか(お金は強い。キリスト教を憎んでいても米ドルは喜んで受け取るのだから)。このへんの考察はサピエンス全史の第12章『宗教という超人間的秩序』がとてつもなく面白い。

より支配力のある価値観が既存の価値観を淘汰してきたと捉えれば、資本主義もいずれは淘汰されると考えてしかるべきだろう。その有力候補がブロックチェーンによって産声をあげたトークンエコノミー(あるいは価値主義)というわけか。我々は価値観がバージョンアップされる、その只中にいるのかもしれない。

これから生まれる令和のトークンネイティブ人間から見たら、お金に心血を注ぐ我々資本主義者はさぞ滑稽に映るのだろう。もしベーシックインカム(※2)なんてものが確立したら尚更である。

百年後の小学校で先生は「昔はお金というものを信じていたんですよー」なんて教えていて、子供達は「意味わかんなーい」ってケラケラ笑っている。「なんでお金なんかのために争うの?」なんつってさ。

※1:トークンエコノミー:ブロックチェーンによって可能になったトークン(≒仮想通貨)による経済圏。国ごとではなく用途ごとに通貨を使い分けるようになり、円やドルの経済圏とは異なる小さな経済圏が大量に生まれると言われている。

※2:ベーシックインカム:政府がすべての国民に対して生活に最低限必要な所得を無条件に給付するという構想。

参考書籍


お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)


サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福