浦島太郎は理不尽な話ではなく反面教師なのではないか
『はなさかじいさん』や『金の斧』など、寓話というのはたいていが因果応報を軸にしている。正直な者、慎ましい者が幸福になり、不正直な者や欲深い者は不幸に堕ちる。
寓話は架空の事例をもって教訓を説き、我々はそれを道徳あるいは処世術として学んでいく。
さて、浦島太郎である。我々は彼からなにを学べばいいのだろうか。彼に起きた事件のあらましはこうである。
- 亀が子供たちにいじめられている。
- 亀を買いとって保護し、海に放してやる。
- 亀がお礼に竜宮城へ招待する。
- 竜宮城で乙姫に歓待される。
- 陸へ帰る意思を伝えると、玉手箱を渡される。
- 竜宮城で3年過ごしたつもりが、陸では300年が経過していた。
- 玉手箱を開けると、老人になってしまった。
ふむ、救いがない。亀を助けた正義の男がなぜこんな目に合うのか、この理不尽さには疑問の声が多いようだ。
日本人はなぜこんな話を語り継いできたのか? なにを伝えたいのか?
思うに浦島太郎は、反面教師なのではいか。『はなさかじいさん』でいう欲張り爺さん、『金の斧』でいう嘘つき爺さんの立ち位置。
浦島太郎は失敗した人間を主人公にしており、しかも成功した人間は登場しない。そう捉えればこの話は理不尽ではなく然るべき結末に思えてくる。
これは浦島太郎の行為を、ファンタジーゼロの現代版にするとわかりやすくなる。
①亀が子供たちにいじめられている。
→見知らぬ若い男が、チンピラに絡まれている。
「見知らぬ若い男」である。亀なんてのは本来なんの見返りも期待できない相手だから、魅力的な女性でも、金銭的報酬を期待できる老紳士でもいけない。なんの見返りも期待できない若い男。
②亀を買いとって保護し、海に放してやる。
→チンピラに金を握らせ、見知らぬ若い男を助ける。
すでにヤバい臭いがする、ある意味チンピラより浦島太郎の方が怖い。
③亀がお礼に竜宮城へ招待する。
→若い男「お礼にうちの店へ招待させて下さい!」
行くな、チンピラと結託したキャッチまであるぞ。
④竜宮城で乙姫に歓待される。
→店では若い女たちにもてなされ、豪勢な食事も振る舞われた。
あきらかに過剰だ。それドンペリじゃね?
⑤陸へ帰る意思を伝えると、玉手箱を渡される。
→帰るといったら会計を請求された。
⑥竜宮城で3年過ごしたつもりが、陸では300年が経過していた。
→3万円くらいかなと思ったら、300万円だった。
⑦玉手箱を開けると、老人になってしまった。
→借金を背負い、返済に追われる。気づけば老人になっていた。
なんだかウシジマくんみたいな世界観になった。というかウシジマくんこそ現代の寓話なのかもしれない。
思うに浦島太郎は、二つの過ちを犯している。
- 正義を安易に実行した。
- 過剰な報酬を受け取った。
第一に、正義というのはそう軽々しく実行するものではない。
「正義」は「優しさ・正直さ・慎ましさ」といったものとは違う。後者は人間関係を良好にするもの、信頼を作るものだが、正義は逆。守った者には感謝されるかもしれないが、悪を生み、敵を生み、争いを生み、恨みを生む。正義は人間関係をこじらせる行為なのだ。
教訓を説く寓話で、正義を推奨するだけのものは思い当たらない。正義を良しとするのは、寓話ではなく英雄伝、教訓ではなく娯楽である。
正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず。 斎藤緑雨
第二に、浦島太郎は過剰な報酬を受け取った。亀を子供たちから助けただけで三年もてなされるのは異常である。浦島太郎は世間知らずだったのだ。タダより高い物はないと知れ。
このように浦島太郎を失敗談、反面教師として見れば、理不尽ではなく然るべき結末として捉えられる。浦島太郎は、
- 正義を安易に実行してはいけないこと。
- 成果に見合わない過剰な報酬を受け取ってはいけないこと。
を教えてくれているのかもしれない。
まぁ長い年月の間に子供向けにしたり神仙思想が失われたりと内容が変化して、今の形に落ち着いたというのが実際のとこだとは思うけど、こう考えてみるのも面白いじゃないですか。